二天堂鍼灸院で受けた「研修内容」について
二天堂鍼灸院「炎の鍼灸師--育成講座」への参加について
( 二天堂鍼灸院の研修内容の解説 )
( 二天堂鍼灸院の研修内容の解説 )
トップページでは、私が二天堂鍼灸院ホームページから「炎の鍼灸師育成講座の修了生」とリンク紹介されていた件、それに関連して当院と二天堂鍼灸院とのリンク状況、そして私が実際に二天堂鍼灸院で受けていた研修の内容を極簡単にご紹介していました。
当ページでは私が二天堂鍼灸院で受けた研修内容をより詳しく紹介し、「炎の鍼灸師育成講座の研修」とはどこがどう違うのか、講習内容の詳細を明らかにしていきます。
また茨木院開業時代(9年間)では、偶にではありますが、以下のリストにあるようなご質問、ご指摘をいただいていましたので、これらの疑問にもすべてお答えできるよう、当方と二天堂鍼灸院との交流歴(その当時の状況と前後状況)や、私が二天堂鍼灸院で研修を受けた動機なども詳しくお伝えしていきます。
偶にあった「ご質問」「ご指摘 」リスト
「脇坂さんは『炎の鍼灸師育成講座』を受けていませんでしたか?」
「腸骨筋に安全に鍼を打てますか?」
「リンクが切れてませんか?」(主にトップページにて解説)
「もしかしたら二天堂から破門されたのでは?」
「大腰筋刺鍼は何センチ入りますか?」
「難聴や耳鳴りに北京堂式の2寸鍼を深く刺す治療法はやっていますか?」
この他に・・・
2015年の夏の「炎の鍼灸師育成講座」参加者らの集まりの飲み会の席では、こちらの対面席にいきなり座ってきた新参鍼灸師M氏から、・・・
「北京堂式鍼灸を学んだのに中国になんか行ってー」
(実際は「行きやがってー」の口調で)
という、ご意見??も出ていました。。。
●リスト手前で行った説明では、患者さんから「偶にあった質問」としていますが、実際、患者さんのなかには「遠回し」に言外に当時の治療方針を批判してくる方や「当院の治療方針の鍼治療で治っていても」最後に予約をすっぽ抜かす、とか「坐骨神経痛もある」と言いながらも他の部位の治療を先に行いそれが終わると、その坐骨神経痛は当院では治療を受けずにその時点から来なくなる患者さん、鍼の効能メカニズムや修行歴について言外に意見しつつ慇懃無礼をはたらく方などがそれなりの頻度でみられましたの。ですので、「上記質問リスト」の中にはこれらの経験を踏まえた質問を分かり易い表現に変えて掲載したものも含みます。
目次
■ 二天堂鍼灸院で受けた見学研修の内容
・概要
・概要
トップページでも触れていますが、私脇坂は、鍼灸学校を卒業した2006年4月から二天堂鍼灸院にて研修を受けました。これは事実です。しかし私が二天堂鍼灸院で受けた研修は「見学がメイン」の研修であり、いわゆる講習とか本格的な修行ではありませんでした。もちろん「炎の鍼灸師育成講座」の修了生でもありませんし、「オプションセミナー」も一切受講していません。
私が受けた研修は見学が主体の研修でしたので、研修中の「技術指導」は量的にも質的にも多くは提供されておらず、実質的なマンツーマン指導を受けたわけでもありませんでした。(*これについても後ほど詳しくお伝えしていきます。)
結論としては、私は「炎の鍼灸師育成講座の修了生」ではなかったどころか私が二天堂で提供された技術指導の内容は後の二天堂の正式講座にまったく及ばない内容で、量的質的にその極一部でしかありませんでしたので、二天堂ホームページから「わきさか鍼灸院は「炎の鍼灸師育成講座』の修了生」としてリンク紹介されていた件は不当表示であったということです。
・交流について
実は、上記以外でも事実誤認が発生していることを確認しています。
どういうことかと言いますと、「脇坂の二天堂鍼灸院での研修は『北京堂鍼灸への弟子入り希望』を発端としていた」との認識です。
つまり、「脇坂はもともと北京堂鍼灸に弟子入りを希望していて、それで二天堂で研修が始まって受けていたが、後になって弟子修行をキャンセルして中国留学を決行した」という風な解釈です。
このような認識を持った者が二天堂関係者の間に存在していることをこれまでの二天堂関係者との交流を通じて確認(証拠レベルの)がとれていますので、「私と二天堂中野先生との交流歴」についても詳しくご紹介していくこととします。
・二天堂鍼灸院で研修を受けるに至った経緯
私が二天堂鍼灸院で研修を受けるに至った経緯ですが、これは当方が鍼灸学生2年次だった2005年3月末頃に、東京中野沼袋の北京堂鍼灸院(淺野先生)で3日ほど治療見学したことを「きっかけ」としています。
神戸の二天堂鍼灸院の中野保先生は、北京堂淺野先生の弟子1号であり、その存在は北京堂ホームページのリンクページで確認をしていましたが、東京中野沼袋の北京堂で見学した前後は特に気にかけることもなく、北京堂本院とはその後しばらく交流がなかったのですが、2005年年末か2006年の年頭頃に、今度は淺野先生ご本人から当方自宅へ「手紙」が届きました。その「手紙」では、「今度、神戸の二天堂で研修センターを立ち上げるから、あなたもよかったら行ってみれば?」との研修参加への「勧誘」があり、後で詳しくご説明(*)しますが、私はこの時すでに別の進路を検討していましたので、すぐには返事を出さず、後々も迷った挙句に「2006年の卒業間際になってからこれを受諾した」という流れでありました。
二天堂・中野保先生との交流はこの後も中国研修旅行に現地合流随行協力2回、毎年年2回飲み会参加、2016年まで中元歳暮 など断続的に続くことになりますが、この項では省略します。(*詳細は「脇坂は北京堂に弟子入りを希望していたか?について」の項に記載)
・期間と回数
二天堂鍼灸院での研修は全部で16日間でした。期間は、2006年4月から8月までの間で、当時私が勤務していた鍼灸整骨院の休日を利用をしての16日間でした。
それから、16回という日数、回数は事前に取り決めがあったわけではありません。
つまり、淺野先生からや中野先生から「最低16日間来てください」とか、「最低6ケ月は研修してください」などと条件提示があったわけではなく、事前に電話でも手紙の段階でも相談も指示も無かったです。逆にこちらから特別に要望を出してスケジュール設定を行ったものでもなく、純粋に私の都合、当時私が勤務していたスポーツクラブ内の鍼灸整骨院の休日を利用して、研修に行ける日に予定を立ててから行く、という自由設定でありました。そのため連日ではなく、飛び石の16回になっていました。(北京堂鍼灸グループでは弟子入り修行として最低6ケ月の期間を条件設定しています)
研修は見学主体で、研修した16回が連続ではなく飛び石的であったため、当然ながら、臨床研修としてはあまり良い形式ではありませんでした。
ただし、「研修」と一言で言ってもその内容もいろいろで幅がありますし、この二天堂での研修内容に不平不満があるわけではなく、この説明は苦情ではありません。
そもそもこの研修への参加動機は、「今度近々神戸に研修センターができるから」と、北京堂の淺野先生から当方自宅に「手紙」が届き、他に検討していた予定がある中、「それならばありがたく参加させていただこう」という感覚での研修参加であり、実際、当時の二天堂鍼灸院のホームページにも「研修生募集」との案内が出ていて、私が二天堂研修の初の参加者でした。
また「研修生募集」の案内は二天堂ホームページだけにあったのでなく、北京堂ホームページにも「二天堂で見学OK」との案内がそれ以前から常時出ていましたので、「二天堂研修」に対するこちらの感覚としてはそれらのニュアンスと同等か若干のプラスアルファの範疇の研修かとも予想しており、特別なレベルの研修を求めての参加ではなく納得レベルの研修参加でありました。
(「二天堂で見学OK」の引用スクリーンショット その1, その2 )
いずれにしても、二天堂ホームページの案内には「弟子募集」とか「弟子」の文言は一切無く、また「修行期間」などの弟子修行としての条件提示の説明文も何も出ていませんでしたし、もちろん研修参加を決めて中野先生に連絡を入れてからその間の中野先生との直接のやり取りの中でも、中野先生の口頭から「弟子修行」の条件提示や説明も全く無かったわけであり、その時点でもこちらが「弟子修行のための研修が開始される」などの勘違いもあり得ないことでした。
それからここで少し余談ですが、実は二天堂研修日の初日に私の他に「もう一人若い大卒の新卒鍼灸師」がいましたが、彼は研修2回目の日に、中野先生から借りた本を返さずに連絡も無いままに来なくなりました。その理由は、「中野先生から発せられた4文字のあるお言葉があったため」と思われます。これはストレートに意味の解釈が可能な発言でしたので、客観的にも「発言の意味」と「事の顛末」がハッキリと理解できるものでした。ただし私自身は「(発言を聞かなかったことにして)円滑な研修遂行」を優先させていただきました。
なので二天堂研修の参加者は、残った私1名だけでしたので、研修は主催者の中野先生と私だけでスタートとなり、事実上この時点から私が二天堂の研修生第1号となっていました。
それから当院の開業すぐの当院ホームページから二天堂鍼灸院へのリンク紹介文では、「(二天堂で)北京堂式鍼灸の勉強会でお世話になりました」と表現し、研修歴を説明していましたが、私が二天堂で研修を受けた当時はまだ「勉強会」という名称すらも存在していませんでした。
・見学した来院患者への施術内容 --- 概要 ---
(患者さんへの治療を見学)
(患者さんへの治療を見学)
研修中に二天堂鍼灸院で見学してきた内容をお伝えしていきます。研修では毎回、来院された患者さんへの実際の治療を見学します。
研修期間中に見学できた治療内容、症例は後ほど詳しくお伝えしますが、治療内容のほとんどは鍼治療でしたが、中野先生はマッサージ師でもあり、当時は週1回程度で在宅往診を行っており、院内の治療の一部の患者さんではオイルマッサージの併用も見られました。
(*二天堂院内マッサージは2007年頃廃止/2007/11/20メーリングメール )
これは2006年研修当時のことですが、当時の二天堂鍼灸院の1日の来院患者数は平均的に見て4~6人でした。もちろんこれは私の研修日に確認した人数ですので、絶対的な数値ではありません。
研修16日間の内で「日曜日」は8月27日の1日のみ、研修最後の日だけでした。それ以外はすべて平日です。冒頭でもお伝えしたように、これは私が当時勤務していたスポーツクラブ内の鍼灸整骨院では「土・日」はすべて出勤していましたので勘違いを起こすレベルではありません
・二天堂で見学した鍼灸治療の【症例】
二天堂で見学した治療内容、症例をご紹介いたします。(一部内容、概要と重複)
まず前提として知っておいてほしい知識をご紹介いたします。
二天堂鍼灸院の中野保先生は、神戸で開業する2001年直前に、北京堂鍼灸代表の浅野周先生が島根県開業中の2001年に島根で6ケ月間修行された北京堂鍼灸の一番弟子であり、これから以下にご紹介する「私が二天堂で見学してきた鍼灸症例」は、極一部を除いて大部分は「北京堂マニュアル式鍼治療法」による症例です。
重複になりますが、研修当時の二天堂鍼灸院の1日の来院患者の総数は4~6人程度で、マッサージ併用の患者がたまに2人程度ありました。マッサージは、いわゆる指圧按摩でなく、オイルマッサージ(手掌圧で滑らせる技メイン+ときどき揉捏)でした。中野先生はマッサージ師免許もお持ちで、在宅往診も対応されていました。
全16回の研修期間中に見学できた鍼灸治療は、腰痛治療(数名×1回以上)が最も多く、近所の商店の男性の慢性腰痛に刃鍼(*)(1名×見学複数回)、急性筋筋膜性腰痛(1名,見学1回)それ以外では、手首、肘や膝関節の骨格筋系の痛み治療(各1名,見学数回)、頚椎症(1名,見学1回)、逆子(1名,見学1回)、胃下垂治療希望の女性アトピー性皮膚炎患者へ鍼治療と枇杷の葉湿布(1名,見学計6回/ 胃下垂治療は芒鍼治療はせずに体鍼を行う。/ 6回目に枇杷の葉湿布=枇杷の葉とはアルコール漬けにした枇杷の葉を湿布がわりに患部に貼りその上から温灸)、腸疾患鍼灸(1名,見学1回)、慢性関節リウマチ男性透熱灸(1名,見学2回)、胃下垂の芒鍼(2名くらい,見学複数)、意外にも坐骨神経痛は、若い男性の椎間板ヘルニア(1名,見学複数回)のみ。
*刃鍼=中国の特殊鍼法 /別名:小鍼刀、ニードルナイフ)
・各症例について補足説明、および脇坂の考察
難聴、耳鳴り
北京堂鍼灸(二天堂鍼灸院)では難聴への鍼治療で非常に高い効果がうたわれていますが、残念ながら、私が研修に来た日の二天堂鍼灸院では、難聴、耳鳴り、メニエル、突発性難聴など、聴覚障害の来院患者数は、いずれも0人、治療0件であり、1件も症例を見ることができませんでした。北京堂中野沼袋院で見学した際でも聴覚系は0件でした。
この他に、前立腺炎(当時二天堂の適応症リストには無かった)、副鼻腔炎(当時二天堂の適応症リストには無かった)、顎関節症(北京堂 猿ぐつわ式で開口)の患者はいずれも0人、0件でありました。
頚椎症
頚椎の治療は、広島の某中国鍼系鍼灸院からの紹介患者1名を除いて1件も患者がなく見学していません。中国鍼某院から紹介で来た頚椎症の中年男性患者症例では、側頚部への施術はまったく無しでした。うつ伏せの後頚部への治療を1回だけ見ることができました。
二天堂で見学できた頚椎の治療はこの1件だけでした。耳鳴り難聴への治療症例件数も0件でありましたので、頚椎部への刺鍼見学は、この男性頚椎症の後頚部へのうつ伏せ施術だけ、ということです。
ちなみに東京中野区の沼袋院で見学(当時の本院)した際でも頚椎治療の症例は非常に少なく、難聴耳鳴り内耳系の治療症例も0件でしたので、東京見学でも頚部への施術はほとんど見ることができませんでした。
大腰筋刺鍼
二天堂での腰痛治療のうち急性腰痛(ぎっくり腰)1件を見ることができました。これを含め、二天堂で見た腰痛への鍼治療は、すべてうつ伏せ施術でした。ぎっくり腰は、腰部の上位腰椎から下位腰椎まで、左右の腰部筋肉群(大腰筋と方形筋)へ各2列深刺しのの刺鍼でした。これは「誰でもできる、打てば効果がある」という「北京堂式のマニュアルどおりの施術内容」でした。
関節痛
冒頭では「手首、肘や膝関節の骨格筋系の痛み治療(各1名,数回)」、という説明を行っていましたが、それ以外の関節痛、五十肩(肩関節周囲炎)、股関節通、足関節捻挫はやはり来院がなく症例を見学できませんでした。
ある日の手首の治療では、中野先生から「あなたならどう刺すか?」と聞かれ、「この場合、患部の痛いところだけに打つのでなく拮抗筋にも打ちます」とお答えしたこともありました。
この症例を含め、二天堂の関節痛への治療では、可動域の確認や問診など理学的視点、運動学的知識に基づく対応はほとんど一切なかったです。圧痛点ポイント探しもまったく無かったです。
まとめ
二天堂の鍼灸治療は「北京堂方式の治療法」をメインとしています。
先ほどと同じ説明となりますが、二天堂では関節痛で可動範囲の確認は実質的には無いに等しく、圧痛点ポイント探しはまったく行わなわれていませんでした。これは東京の北京堂で治療を見学した際でも同様でした。
ただ、北京堂式の治療マニュアルでは、もともとマニュアル自体が「圧痛点などポイント探しはまったく不要」としていて、代替的な処置として多数の鍼を筋肉にまんべんなく広く最大深度で鍼を打つという多刺による施術方針を基本設定にしており、北京堂(二天堂)の特長としてもアピールしいますので方針と同じ当然の内容と理解しております。
( *誰がやっても効くそれが北京堂 . . .「二天堂HP2022~ 2019年 引用」)
それから、すべての症例において、治療前の患者さんへの質問などは全般的にかなり簡素な感じでした。
「養生」に関しては、若い男性のヘルニア患者1件に対して「できるだけ歩くように」とのアドバイスがありました(*)が、これを含めて全体を通してこれ以外に「患者さんへの養生アドバイス」「運動指導」はまったく無かったです。テーピングの使用もまったくありませんでした。
あと、当方に対しては、治療時の注意点として「高齢者は気を付けて」と、「深追いしないように」と軽めのアドバイスを各1度だけいただけました。しかしながら、二天堂で実際見た症例のなかに「刺激量の調整」と言えるような「技」や「レンジ(幅)」の存在を窺わせる高度な施術はほとんど見られませんでした。もちろんこれは初診の患者を含め全体的(中央値的視点)な評価です、逆に既に多数回数二天堂に通院していた患者の場合ではこの評価は妥当ではないかも知れません。
( 誰がやっても効くそれが北京堂 . . .「二天堂HP 2019 引用」)
二天堂で見学した各症例の治療時、前後の患者さんの応答、5回回数券の終了時のリアクションの考察など、治療効果への評価、治療結果の発表は省略させていただきます。
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【参考情報】
※見学内容を簡単に記録したメモ帳が現存します。
※メモ帳のメモ以外に大腰筋刺鍼と小児鍼のみレジメ各1枚がありました。肩甲下筋などその他の刺鍼法の情報提供は一切ありませんでした。大腰筋刺だけはメモのようなレジメ今でもありますが、失礼ながらこれは当時研修中に自分でディクテーションし後に清書したものなのか二天堂から提供があったものかどうらかは失念で不明。小児鍼は転載品)
※2005年当時の北京堂淺野HP坐骨神経痛ページ(2001年公開)では「椎間板ヘルニアの坐骨神経痛に鍼治療は不適応症」と主張されていましたが、その2011年頃に肯定説に変更されていました。しかし北京堂は2001年公開から10年とかなりの長期間「否定説」を主張され続けていました。当時の私は他の鍼灸院見学や見聞で椎間板ヘルニアはケースバイケースで有効との知見を得ていましたし、またその後の中国留学中でも椎間板ヘルニアの症例を確認していましたので、2009年茨木院開業時点から適応症としていました。(注:当院鍼治療は北京堂式マニュアルと同じではありません)
※治療の合間、患者さんがいない時間帯には、鍼を打つ練習、ご指導をいただきました。逆に中野先生からのご要望により、鍼だけでなく「当方の手技施術を披露させていただいたこと」もありました。
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(*)ここでのご紹介した症例情報は、あくまで当方が2006年に二天堂鍼灸院で研修した状況、内容をご紹介することを目的として公開しており、これらの症例について当方が「鍼治療を希望する患者向け」に何かしらの評価を与えるものではありません。例えば、研修で中野先生は、「若い男性のヘルニア患者にうつ伏せで左右の大腰筋に刺鍼を行い、『普段はできるだけ歩くように』」とのアドバイスを行いましたが、これもあくまで北京堂式採用の中野先生によるアドバイスであり、この見聞の事実紹介をもちまして当方がすべての椎間板ヘルニアの患者に対して「90%の坐骨神経痛は大腰筋刺鍼で治る」とか、「できるだけ歩行すること」との養生法を支持推奨するものではありません。「慢性腰痛は刃鍼の方が鍼治療より有効」や「アトピー性皮膚炎に『枇杷の葉湿布』」「逆子に棒灸」「慢性リウマチに透熱灸」というような症例も同様です。当サイトの症例紹介は「脇坂が2006年の二天堂研修でコレコレ症例を●件見ました」という事実のみをご認識ください。
■ 二天堂鍼灸の見学研修で受けた技術指導の内容 (全体の流れ)
私が二天堂鍼灸院の研修で受けた「技術指導」の内容をご紹介していきます。
私が受けました二天堂での研修は見学主体の研修でしたが、「いくらかの技術指導」を受けることができました。
「いくらかの技術指導」ということでその量のことですが、これは指導を受けた「施術部位のの量」、それと指導を受けることができた「指導時間の総量」のことですが、どちらも量的にはあまり多くはありませんでした。なぜなら私が二天堂で受けた研修は「見学主体の研修だった」からです。
また、極一部を除いて教科書のようなレジメ、あるいは完成されたマニュアルなどの資料提供もありませんでした。(不平不満ではなく事実確認です)
二天堂での技術指導は「患者の予約が入ってない時間帯など、治療の合間に適当に受ける」という形であり、講習のような整った定型様式の技術指導を受けたわけではありません。
具体的には、先生から予めポイントの位置や深度、角度などの説明を口頭で受けた後、先生がベッドでうつ伏せになって、「では今日は天柱、風池に鍼を打ってみて」とか、「うつ伏せになるから大腰筋と方形筋に刺鍼してください」のような感じです。
これを日替わり的に患者さんの治療の合間に、順次、頚部や肩、背中、臀部など、各パートに鍼を打つように指示され、「練習と確認を繰り返えす」といった感じで指導を受けました。
ただし、先ほどもお伝えしましたように、二天堂研修の参加者は私のみ、1名だけでしたので、二天堂研修は、中野先生と私だけのスタートとなっていましたので、技術指導は事実上マンツーマン指導ではありませんでした。
次の項では生徒と指導者が合わせて2人しかいない場合のマンツーマン指導について、要領を簡単にご説明していきます。
・二天堂見学研修で受けたマンツーマン指導の実際
先ほどもお伝えしましたが、私は二天堂が2006年に初めて開催した研修に参加した一人目の研修生でした。すなわち二天堂の研修生第1号ということです。その際先生から技術指導を受けましたが、研修の初めから終わりまでの期間中の参加者は常に私一人だけでしたので、私が体験した「先生と生徒、参加者2人だけで行われたマンツーマン実技指導の実際と要領」をご説明していきます。
「指導者一人と参加した研修生が一人だけで技術指導が行う」という設定条件で「マンツーマン指導の説明」を行います。これを前提としてご理解ください。
まず例えば初めに、研修生の私が「患者役」として先生からの鍼治療を受ける場合は、私が先にベッドにうつ伏せになり、先生からの鍼の施術を受けます。このとき生徒はベッド上でうつ伏せになっているため、先生の施術(手元)そのものを目視することができません。
逆に生徒である私が施術を行う側になる場合は、先生が「患者役」としてベッドに横たわり、生徒の施術を受けることになります。この時「患者役」である先生は当然うつ伏せか仰向けになって、生徒から鍼施術を受けることになります。
患者役の先生がうつ伏せの場合、先生は生徒の施術をまったく目視することができません。逆の患者役が生徒でうつ伏せの場合も生徒は先生の施術をまったく目視することができません。
逆に仰向けで下半身への刺鍼の指導なら、患者役の先生が仰向けで上半身だけを起こして生徒の施術を一部始終確認すると同時に指導も行えます。患者役が生徒でも仰向けは先生の施術を視野に入れて直接見ることができます。当たり前ですが仰向けは、腕、胸部、腹部、下肢前面など、身体の前面への施術に適した臥位(がい)ですので、当然双方の視界に入りやすいからです。
生徒と先生、研修の参加者が2人しかいない場合での、後頚部、肩背部、腰部、臀部、下肢後面への施術では、患者役はたいていうつ伏せで生徒の施術を受けるしかなく、このようなパターンの「組み合わせ」にしかなりません。
本来、理想的なマンツーマン指導とは、講師の先生が、患者役の誰かをベッドに寝かせ、その状態で患者役の者のどこかの治療部位に鍼を打ち、それ以外の「3人目以上の生徒ら参加者の傍らで実際の施術を披露して生徒らに施術(手元)を間近で見させることができる状況で同時に先生から口頭指導が受けられる状況」でなければ成立しません。
ということで一般論としてのマンツーマン指導は、3人以上、講師以外に少なくとも2人以上の参加者が居なければ成立ないということであります。
当ページの別の部分でもお伝えしていますが、私が2006年に二天堂研修で受けた研修は「見学主体の研修」であり、北京堂から届いた手紙には「研修センター立ち上げ」という案内がありましたが、実際の研修で中野先生からは実質的なマンツーマン指導を受けておらず、かなり簡便な指導であったということです。
当時はまだスマフォが無い時代であり、当然動画も写真も撮っていません。それからここで勘違いしてほしくないのですが、この説明はあくまで一般的なマンツーマン指導の内容、要領の説明であり、二天堂の研修内容に対して不平不満を表すものではありません。
なぜなら、もともとこの二天堂研修の参加は、北京堂中野沼袋院で見学の後、2005年末か2006年年始頃に北京堂淺野先生から私の自宅に勧誘手紙が届いて、これに対して「せっかくならば」」ということで卒業間際に承諾決定したという経緯であり、手紙にも「北京堂に弟子入り修行しませんか?」とか「弟子入り修行」とは書いておらず、「もうすぐ神戸で研修センターを始めるから」という内容であり、「私から北京堂側に弟子入り希望」して始まった研修ではないからです。
また私はそれ以前からも長い鍼を使って腰部大腰筋などに長い鍼を深く刺鍼する技術の練習を常々行っており、1年間研修バイトでお世話になっていたKK鍼灸院でも長鍼(芒鍼)を偶に背部僧帽筋に横刺、腰や殿筋に直刺使用している治療を見ていましたので、基本的レベルでは学生時期にはすでにいろいろな技術をマスターできており、基本的な技術習得に関して特段大きな障害や悩みを抱えてこの二天堂研修に参加したわけでもないからです。
それとこの後でもご説明しますが、私は北京堂、二天堂鍼灸院以外でも何件かの鍼灸院でスポット見学研修を行っており、そのうち1件は国内の中国鍼系鍼灸院で、そこの治療(長鍼使用)でも技術を見聞してきた経験を有していましたので、その面からも二天堂研修の内容に対して不満を表明する動機はありません。
(*ちなみに周りの学生に私ほど高密度の研修環境や技術習得レベルに達していた者はおりませんでした)
■ 二天堂「炎の鍼灸師育成講座」の技術指導の内容(刺鍼部位リスト)
それでは二天堂鍼灸院の「炎の鍼灸師育成講座」で受けられる技術指導の内容、「刺鍼部位リスト」をご紹介します。
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「炎の鍼灸師育成講座(ほのしん)」は、1回4時間で全12回のマンツーマンの技術指導講座です。治療に来た患者さんの治療を見学する研修ではなく、「鍼を打つ技術を習得するための実技講座」となっています。
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■炎の鍼灸師育成講座の刺鍼部位リスト
腰部:大腰筋、腸骨筋、方形筋、臀部筋群
上肢:頚椎部 後頚部・後頭下筋群、夾脊(キョウセキ)
側頚部:斜角筋群、うつ伏せ・頚部背部筋
顎関節筋群(開口猿ぐつわ式*)への刺鍼
肩関節治療法(肩甲下筋など、関節の筋全体)
膝関節治療法(大腿四頭筋、ハムストリングス、内転筋など)
引用参考:
・「二天堂HP 勉強会・講座の実技指導 基本メニュー」引用記載
・「メーリングメールの内容」を参考引用
(*:北京堂HPによると「猿ぐつわ式」は現在廃止されています)
■ 私が二天堂見学研修で受けた技術指導の内容(刺鍼部位)と「炎の鍼灸師育成講座」との比較(表1)
それでは次は、「炎の鍼灸師育成講座の刺鍼部位リスト」と私が「見学研修の際に受けた技術指導の刺鍼部位のリスト」を比較できる [表1]を作成しましたので、そちらをご確認ください。
(クリックで比較表「 [表1] 二天堂鍼灸院の講習 のファイル」が開きます)
注釈1:表中リストの刺鍼部位の名称は、解剖学の筋肉名であり、これらの刺鍼部位名称について北京堂鍼灸や二天堂鍼灸院が何らかの権利を有するものではありません。挟脊穴は中国のツボの名称(正式:華佗挟脊)です。
注釈2:炎の鍼灸師育成講座のオプション講座の内容はこのリストには含みません。別項目で解説します。
■「二天堂勉強会」とは?「二天堂 炎の鍼灸師育成講座」との違い
「二天堂勉強会」の内容を詳細に説明します
( *これら2つの講習で提供される技術指導の内容を明らかにしていきます。)
前の項では、「二天堂 炎の鍼灸師育成講座」で受けられる技術指導の刺鍼部位と、私が「見学研修」の時に指導してもらえた刺鍼部位を比較しました。
両者のリストを並べて比較することで、数的にも、私が「見学研修」を受けた際に指導してもらえた刺鍼部位の数は極わずかであり、「炎の鍼灸師育成講座」のようなフルコースの実技指導を受けたわけではなかった、ということをおわかりいただけたのでは、と思います。
「二天堂勉強会」とは?
二天堂には「勉強会」という講座がありました。この「二天堂勉強会」は、2007年から2009年まで存在していて、2019年までの二天堂ホームページには「二天堂 勉強会 2007年に開校」とのプロフィール記載がありました。
そして当サイトトップページでも述べていますが、現在「二天堂勉強会 2007年 開校」の説明は削除されていますが、この「勉強会」は「炎の鍼灸師育成講座」の前身講座として存在していたものです。
これもすでに別のところで説明していますが、私が二天堂で研修を受けたのは2006年のことで、2007年に開校した「勉強会」のことではありません。
ここで話しが少し逸れますが、当院が2009年に開業してすぐに公開したホームページでは、「(二天堂で)北京堂式鍼灸の勉強会でお世話になりました」との説明を行っていました。
しかしこの説明文の「勉強会」とは、自身の研修歴の紹介のために便宜上に使用した名称であり、2007年開校の「二天堂 勉強会」のことではありませんでした。
私が二天堂で見学研修を受けた時は、私が二天堂で一人目の研修生、つまり初の参加者でありましたが、その時はまだ「勉強会」という名称の講座は存在していませんでした。このことはその後に二天堂メーリングメールの中野先生からのメール内容からも確認することができます。(中野メール,赤羽先生のお陰で勉強会を立ち上げることが・・・)
当院開業初期のホームページでは、(二天堂で)「勉強会に参加」と紛らわしい説明を行っていたため、しかもそれプラス、研修の年時期も無記載だったため、当時これを見た多くの読者や同業者の皆さんには大きな誤解を与えていたのではないかと思います。
要は、私は「二天堂勉強会」に参加していたわけではなかったということです。当ページの公開を機に誤解が解消されることを願います。
次は本題の「二天堂勉強会」の内容についての説明です。
結論として私は「二天堂勉強会」に参加していたわけではなかった、ということを明らかにしましたが、誤解の大きさ、スケール感を知っていただきたいと思いますので、そのためにも「二天堂勉強会」の内容を解説していきます。
「二天堂勉強会」で受けられる研修内容は、院内での治療見学だけでなく、北京堂式を学ぶための実技指導も同時に行われていました。
刺鍼部位の数、リストは、後に開校した「炎の鍼灸師育成講座」で提供される実技実習の刺鍼部位の数、内容とほぼ同程度でした。(*資料へリンク/メーリングメールで確認)
「勉強会」と「炎の鍼灸師育成講座」とで最も異なる点は、「炎の鍼灸師育成講座」の開始から「オプション講座」が追加されたことです。(二天堂メーリングメール2008.12.04)
もちろん、「それ以外はまったく同じ内容である」と断言するつもりはありません。例えば、実技指導の「刺鍼部位」の数、すなわち項目の数以外でも、実習の指導内容の充実度までもがまったく同じとは限りません。つまり、指導のきめ細かさや範囲、内容の豊富さであるとか、資料提供、実習のトータル時間などは、後にになってからの方がより充実してきて「変化した部分」もあるかと思いますので、その意味では「炎の鍼灸師育成講座」の方がグレードアップされている可能性が考えられます。実際現在の講習料は勉強会時代と比較してかなり高額になってきていて、炎の鍼灸師育成講座が開校してすぐの時期でも前身の「勉強会の内容」と「まったく同じである」とは言い切れませんので、そこに対する理解は必要かと思います。
これについては後ほど更に詳しい説明を行います。
・「二天堂・勉強会」の研修内容の確認
では「二天堂・勉強会」の講習内容(技術指導の内容)を深堀り説明していきます。
「二天堂勉強会」」では見学研修と実技指導が行われていました。
見学部分の内容ですが、見学の期間は、研修生によって異なり多少幅があったようで、基本的には数日程度~1週間程度だったと、記憶しています。なかにはそれ以上長く通った人もいるかも知れませんが、せいぜい数週間程度と思います。
まず基本的に「二天堂勉強会」の参加者は、弟子修行のように長期間毎日出勤していた人ばかりではありません。初期の勉強会の参加者は、3人ほどは遠方からの参加があり、その方々は連日の研修でしたが、それ以外は近隣からの参加が大半でした。そして近隣からの参加者の中にはすでに開業中の先生もおられ、その場合では仕事の合間、自身の休日に二天堂に来訪する形の研修であり、通しの連日研修ではなく、遠方の先生方は1~2週間程度の滞在で研修を行っていました。
(*これらの内容を間接的または客観的に確認できる引用資料を後ほどご紹介します)
二天堂鍼灸院ホームページではこれまで、上記のような「二天堂・勉強会」の内容を明らかしていたことはありませんでした。
しかし私は二天堂の内部関係者と言えるような立場の者でありましたので、2007年開校の「二天堂・勉強会」や2009年開校の「炎の鍼灸師育成講座」のそれぞれの成り立ち、研修の内容詳細を知りえる立場でありました。
そこで次は、当時の私が二天堂鍼灸院と「どの程度の関わりがあったのか」をご紹介しつつ、「二天堂勉強会」の内容、実技実習の内容を確認していきます。
私が二天堂研修を終えた後の二天堂メンバーとの交流歴
私は二天堂で研修を受けた研修生第一号の者で、二天堂の中野先生とは2006年の二天堂研修の後も断続的に続いていましたので、その間の二天堂との交流を通じて「二天堂・勉強会」に参加修了した鍼灸師らとの交流を持つことができました。
例えば、中野先生とつながりがある神戸市内の某鍼灸院は以前から中国研修旅行を開催していて、私が2006年夏(二天堂研修直後)から中国留学を行うということを知った二天堂中野先生のアイディアが発端で、中野先生と二天堂研修生らと共にその中国研修旅行にジョイント参加することになりました。そしてその某鍼灸院との合同の研修旅行が2007年2月と2008年2月の2回行われ、その2回に私も現地合流し、添乗サポート役兼研修参加者として参加することとなり、その際に二天堂勉強会初期の研修生らと交流することができました。この時に交流したメンバーの一部とはこれ以降も二天堂を通じて継続的に交流する機会がありました。特に、二天堂では2008年頃から毎年夏冬2回の二天堂親睦会(3h程の飲み会)が行われていましたが、これに私も2010年から2015年夏まで毎年2回きっちり参加していました。この親睦会には二天堂勉強会の初期参加メンバーらも参加していましたので、彼らとの交流、情報交換はかなり濃厚で長期的なものでありました。
また、二天堂鍼灸院からは常々メーリングメールの連絡メールが配信されていて、それらを自動的に受け取っていましたので、「二天堂・勉強会」開始初期の研修内容はそこからも知ることができる立場でありました。
次の項では引用としてこれらの情報源を紹介しています。
中国研修 2008年
(2月18日~23日 / 筆者撮影)
左から2人目二天堂鍼灸院中野院長
右隣は二天堂勉強会2期生奈良で開業某院院長
右から3人目グリーンのダウンの方は2006年の二天堂研修生(私のすぐ後)
・「二天堂・勉強会」の研修内容の説明に関する情報源
以下に「二天堂・勉強会」の内容に関する「情報源」をご紹介します。
引用参考:
メーリングメール(勉強会の開校年の確認) (2007.6.18)
メーリングメール(勉強会には実技実習が存在)(2007.8.28)
メーリングメール(炎の鍼灸師育成講座内容と勉強会は同等)(2008.12.04)
メーリングメール(二天堂 勉強会初期でも腸骨筋刺鍼を伝授) (2008.2.05)
以上の二天堂メーリングの連絡メールのスクリーンショットです。
補足説明
連絡メール(2008.12.4)の中で中野氏は、「炎の鍼灸師育成講座を2009年から開始する」旨の説明を行っており、その中で、二天堂勉強会では、炎の鍼灸師育成講座と同等内容(北京堂鍼灸の刺鍼部位)の実技指導を行っていたことを示唆する内容を確認できます。
連絡メール(2008.2.05)の内容は、当時の二天堂勉強会では「腸骨筋」の実技指導が行われていたことを示す内容です。腸骨筋刺鍼は、先ほど紹介した「刺鍼部位の比較表 {表1}」で示した通り、私が受けた見学研修では伝授されていない部位です(研修時のメモ帳も現存)。説得力を高めるためとして「連絡メールに出ていた腸骨筋」を取り上げましたが、腸骨筋に限らず二天堂勉強会では2007年1期生の時点ですでに北京堂の基本部位フルコースの習得機会が与えられおり、その事実関係の確認の補強情報として紹介しました。(確認情報は他にもあります、更に詳しくは別ページで解説)
「炎の鍼灸師育成講座・北海道支部」の存在からの証明
先ほどは「二天堂勉強会では炎の鍼灸師育成講座と同等レベルの実技実習が行われていた」ということを証明するために二天堂メーリングメールを紹介しましたが、ここからは別のエピソード、情報源を用いて証明していきます。
実は二天堂にはかつての一時期「炎の鍼灸師育成講座・北海道支部」が存在していました。
そして、その北海道支部を担当していたのは、二天堂勉強会で研修を受けた北海道の某鍼灸院の某院長です。(以後北海道のHを取ってH先生とします)
このH先生は、2007年1月に二天堂勉強会を修了し、「二天堂門下生として2008年頃に北海道に鍼灸院を新規開業していました(現在は存在しません)。この事実は二天堂ホームページに一時掲載がありそこで確認していました。
H先生は二天堂勉強会で研修を受けたすぐ後に北海道で新規開業して炎の鍼灸師育成講座の北海道支部を開催していたということですので、北京堂式の基本の鍼技術をすべてマスターしていたということになります。それと同時に、「二天堂勉強会では、炎の鍼灸師育成講座と同等レベルかそれに近いレベルの実技指導が受けられる」ということを意味することになります。
そうでなければ「炎の鍼灸師育成講座」を開校し、大腰筋、肩甲下筋や後頭下筋群、腸骨筋刺鍼、関節部位も他の人に指導することはできません。よって、H先生は2007年1月に二天堂勉強会に参加して中野先生から北京堂の刺鍼部位をすべて教授されていた」ということになります。
繰り返しになりますが、「北海道支部」は二天堂ホームページに記載されていた情報であり、二天堂鍼灸院公認の開業であります。一時は北京堂本院からもリンクされていました。そうでなければ二天堂支部でも北京堂式でも勝手に看板を名乗って開業することはできません。
それだけではありません。実はこの北海道のH先生は二天堂勉強会参加の後、先ほど紹介した二天堂中野先生も参加の中国研修旅行(2007年他院主催にジョイント)に続けざまに参加されていました。そして私もこの中国研修旅行に現地合流で参加していましたので、H先生とはその間交流していた間柄です。3日間、朝昼晩行動を共にして様々に情報交換をしていましたので、ある程度の知人関係はできていました。
以上の事実関係により、「二天堂勉強会」には2007年の開校初期の時点で、すでに、後に開校した「炎の鍼灸師育成講座」で提供される技術指導と同等レベル(刺鍼部位)の技術指導が存在していたと考えられます。
参考引用(炎の鍼灸師育成講座・北海道支部の存在):
メーリングメール(研修旅行の連絡にH先生の名前) (2007.1.18)
二天堂ホームページ(北海道支部のバナーリンク) (2011.7.19 キャプチャー)
北京堂リンクページ(H先生の鍼灸院にリンク) ( 2015年以前は確定)
中国研修旅行の参加者全員の写真
(2007年2月12日~15日)
参加者の紹介
右手前が主催の某鍼灸院院長
中央は二天堂鍼灸院中野院長
右隣にほのしん講座 北海道支部院長
左隣に北京堂某院院長
他は二天堂勉研修生1名
主催者某院の研修生3名と私
その他の「二天堂勉強会」参加者らとの交流
私は上記の中国研修旅行参加メンバー以外でも、複数人の二天堂・勉強会修了生らとは年単位での継続交流があります。
また、二天堂鍼灸院主催の毎年年2回の親睦会にも2010年から毎年参加していましたので、そこでも炎の鍼灸師育成講座の修了生らとも多数交流していました。
なのでこの面からでも私は「二天堂・勉強会」と「炎の鍼灸師育成講座」、それぞれの研修内容を理解することができる立場であり、高いレベルで確認を取ることができていました。
例えば、2019年に私はある先生に直接電話して「二天堂勉強会の刺鍼部位」を問い合わせ(*)たことがあります。その先生に「二天堂勉強会で腸骨筋の刺鍼を教授されたかどうか」の具体的に部位名を出して確認したところ、大腰筋だけでなく、「腸骨筋も学んだ」とのことでした。この先生は2007年に二天堂の勉強会を修了した勉強会2期生であります。(*問い合わせを行った証拠資料)
まとめ
このように、私脇坂は、二天堂見学研修が終わった後も、中国研修旅行、毎年の飲み会(10回程)などを通じて二天堂勉強会の参加者らとの深い交流がありましたので、それらの交流の中から二天堂勉強会の情報を得ることができていました。
ということですので、「二天堂・勉強会 (2007)」で受けられる技術指導は、「炎の鍼灸師育成講座 (2009)」で受けられる技術指導とほぼ同じレベル内容と理解しております。
そして、当方脇坂が2006年に二天堂で受けた研修では、2007年に開校した「二天堂・勉強会」や2009年に開校した「炎の鍼灸師育成講座」で行われているようなフルコースの技術指導を受けておらず、見学が主体の研修であったということです。
私が二天堂鍼灸院で受けた研修は「これら2つの講座とはまったく異なる研修であった」ということであります。
■ 「脇坂は北京堂に弟子入りを希望していたか」について
当ページでは、「私が二天堂鍼灸院の炎の鍼灸師育成講座を受けたかどうか」について、以下の説明を行ってきました。
説明してきた項目(おさらいとしてご確認ください)
●私が二天堂鍼灸院で受けた「見学研修」の内容
●マンツーマン指導とは?その定義と範囲の考察
●二天堂「炎の鍼灸師育成講座」の内容
●二天堂「勉強会」の内容
●二天堂「勉強会」と「炎の鍼灸師育成講座」の内容の比較
この他、北京堂中野沼袋院で淺野先生の治療見学した後、淺野先生から私の自宅に二天堂研修への『勧誘の手紙』が届いたこと」もお伝えして、先の項目までは、当方は「二天堂鍼灸院の炎の鍼灸師育成講座を受けてはいなかった」ことの事実確認を明らかにしてきました。
これらの説明は当サイト公開の主要目的であり、たいへん重要なテーマです。
しかしいくらこのような説明を行ったとしても中には納得しない方がいるのではないかと思います。
なぜなら、実は以前から、二天堂鍼灸院、北京鍼灸堂関係者らから、当方が二天堂研修に来る前に「元々北京堂本院に弟子入り希望をしていたのではないか」という疑惑が出ていたからです。
なので、これまでの説明も全部、脇坂は
「嘘の発表をしているのではないか?」と。。
実際、これまで茨木院開業時代には、二天堂関係者からも
「本当は(脇坂は)北京堂に弟子入りを希望していたでしょ」。。。
という意見が出ていました。
それもかなり高圧的な態度で抗議するかのようにです。
(2018年リンク状況について二天堂側近の某鍼灸院に問い合わせを行った際)
この他にも「こちらの修行経歴」についての意見が寄せられていました。
2015年夏「炎の鍼灸師育成講座」参加者らの親睦会の席でこちらの対面席にいきなり座ってきた新参鍼灸師から、
「二天堂で北京堂の鍼灸を学んだのに中国になんかに行ってー」
(実際は「行きやがってー」の口調)
という意見が出ていました。
また別の件は、私が当院へのリンク状況についてある北京堂直系の鍼灸院に問い合わせを行った際、こちらのことを「北京堂の弟子」と見なしたうえで「不届き者」であるかのように指摘をしてきた件(2017年に)があります。
この事件から分かることは、二天堂ホームページ上の不正な表示だけでなく、「上記のような認識が同業関係者らの間で浸透していた」ということです。
つまり、内部の人でも「私の立場を正しく理解している人はいなかった」ということです。
これ以外でも電話確認(2ヵ所)は入れていますが、こちらの問いに対して抗議というよりは直接的表現を避けての反対意見とか、態度のみ軽めの拒絶の意思表示をされる、というようなことがよくありました。飲み会では参加者の間で人によって濃淡、一部はゼロ%の方もありますが、暗黙の了解的な接触回避の雰囲気が出ていました。
ただこれはグレーゾーンのため、当ページで紹介できるレベルではありません。
どちらにしても以上のような状況が過去に出ていましたので、当ページ(二天堂研修説明専用サイト)の公開(2023年)が無ければその後いつまでも当方に対する疑惑が残ったままで、2018年の当院ホームページの大幅追記以降は更にいろいろと詮索批判が起こっていた(*)ことが考えられます。
(*2018年当院 ホームページに独自の研究視点、研修歴強調を大幅追記)
そこで当項目では、この件について「更に説得力がある説明」を行い、一切の疑念を晴らしていきたいと思います。
・当方が二天堂研修に参加した動機
二天堂で研修した際、私から中野先生に伝達していた「私の研修歴」の詳細
先述したように、二天堂関係者から疑惑が出ていました。
この件で「誤解が起こりやすい根源的なポイント」は、当方が二天堂研修の参加を申込んだ際、浅野先生や中野先生に「弟子入り希望をした」か、「していなかった」か、「言質の有無」ではないかと思います。
そこで当項目では、これまでより説得力がある説明として、当方が二天堂研修に参加した動機、私が二天堂で研修した際、私から中野先生に伝達していた「当方が二天堂に来る前までの『研修歴』」、当院が二天堂研修の後に中国留学中に北京堂淺野先生から横浜院の引継ぎ勧誘(*)を受けた際のメールやり取りを紹介して、私が「北京堂に弟子入りを希望していたか、どうか」を明らかにしていきます。
(*)
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・二天堂研修の申し込み時のバックグラウンド解説
私からの二天堂研修への参加表明は、二天堂中野先生より先に北京堂の淺野先生に行っていました。なぜなら、「北京堂式を学びたければ神戸に研修センターを立ち上げるからそこで研修を受けるように」との手紙を送ってきたのは淺野先生だからです。
申し込みの電話の際、、淺野先生は「(中野沼袋院で鍼治療)見たでしょっ!」と言ってこられ、あまり友好的ではありませんでした。あるいは警戒心のようなものだったかも知れません。
なぜなら、その理由はいくつか考えらえます。
ひとつは手紙の勧誘(二天堂研修)に対してこちらが即答してなかったからだと思われます。実際中野沼袋院で見学した際でも、淺野先生より極軽めに勧誘(北京堂の弟子)を受けていました。
もうひとつは、私が北京堂中野沼袋院で見学した際、ちょうどその時、私と同じ鍼灸学校出身の新人先生が北京堂の弟子として正式に修行中(弟子2号)であったこともあり、見学の3日間ではこちらの学生期間中の研修歴など色々な情報が伝わっており、更に私の研修バイト先に居た先輩がこの弟子2号の先生と同じ学年の友人であったことなども知ることとなっており、淺野先生にはこの段階ですでにこちらの研修歴が知られていて、「学生のわりにはスキルがある者」のように思われていた可能性があったということです。(後に私が中国留学中の2007年10月淺野先生が北京に来た際、横浜院担当の勧誘があった)
なので、少なくともこちらが1年前に北京堂中野沼袋院の浅野先生の元で治療見学を行っていた学生だったということは伝わっていて、ここから先は可能性の話しですが、私が神戸の二天堂研修に来る前の時点では、すでに二天堂の中野先生には師匠である淺野先生から、「当方が浅野先生からの手紙で二天堂研修の勧誘を受けていたこと」、「それには即答してなかったこと」、それから「当方の独自の研修歴(どこで何を学んできたか?と習得レベル)」などの情報が伝わっていたものと思われます。
中野先生に伝達していた「私の研修歴」の内容(全貌)
研修が始まってわりと初期の時点で、中野先生には「私が二天堂に来るまでの鍼灸の研修歴」をお伝えしていました。研修は2006年3月開始です。
当然です。先の説明のとおり、こちらの情報は中野区沼袋院で淺野先生の治療を見学した際に淺野先生に伝わっており、その先生が直接二天堂研修に勧誘した者が二天堂に来たということなので、普通に考えて何も伝わっていないはずがありません。それに研修主催者が自分の所に研修に来た者の経歴を知ろうとすることも当然よくあることですし、「こちらも隠す意図がないから」です。
記憶は定かではないですがもしかしたら履歴書を添えていたかも知れません。とにかく、「私の研修経歴」は、二天堂での研修が始まったすぐ時点か比較的初期段階でから私から直接中野先生に正直にお伝えしていたことは事実です。
研修歴の内容
研修歴の内容の詳細ですが、二天堂研修の研修開始時点(2006年3月)では、私はまだ某スポーツクラブ内の鍼灸整骨院に在籍中で、その院でフルタイムで働いていました。当然そのことは二天堂研修の日程、スケジュール調整に関わることですので、中野先生との会話で話題に上がります。なので、その鍼灸整骨院の治療コンセプトや私が担当していたトレーニングのマンツーマン指導などの情報などはわりと詳しくお伝えすることになりました。またその以前の経歴の整体院では実費(4,300円/1h)の指名制の整体施術を提供していたことなどもお伝えしていました。
またこの他、中野先生には「私がまだ学生時点で中国鍼灸系の鍼治療を見学した経験がある」ということも伝えており(屋号も)、この鍼灸院は当時は北京堂本院から友好的な紹介文でリンクしていた鍼灸院のことで長い鍼(芒鍼)を使って坐骨神経痛の治療を行うことで知られていました。
更に「私が北京堂中野沼袋院で淺野先生の治療を見学した経験がある者」として見学の直後に淺野先生から直に3寸の長鍼を購入しており、そのことは私が二天堂研修に来る以前から中野先生に伝わっていたと思われます。そのことが背景にありますので当然二天堂研修の練習中のコミュニケーションではそれが前提になっており、またその延長線の対応として、二天堂の研修中の普段の中野先生とのコミュニケーションにおいての私自身の立ち位置の方針として、中野先生にはいつも「私の深鍼の技術はすでに一定レベルに達している」という認識を前提にしてコミュニケーションをとるように心がけており、中野先生にはそれなりに伝わり理解されているものと解釈していました。
それと先生との会話だけでなく、治療の合間に指導を受けた際、先生に鍼を打って練習をするわけですが、その際、中野先生にはこちらの手技の手際のレベルなどからも、「脇坂は普段から長い鍼を使って鍼を深く打つ練習を重ねているだろう」ということくらいは当然にお気づきの範疇で、既知の事実であったと思われます。
例えば、2005年当時の北京堂鍼灸のホームページには大腰筋刺鍼は「刺入の際、途中に短い鍼管を使い段階的に刺入するやり方をオリジナル」として公開していましたが、私が二天堂研修に来た2006年にはすでにその鍼管交換方式を採用せず、それよりも難易度が高い中国方式で3寸鍼を大腰筋に刺鍼することをマスターしていたからです。( 図A: 中国式の参考資料)
[ 図A ] 刺法灸法学 P83 ( 中国の公式教科書 )
逆に中野先生が私の施術を見た際や受けた際に、練習した形跡、力量に気が付かなければ「中野先生はまったくの無能」ということになります。
後ほどでも詳しくご説明しますが、私は当時すでに中国留学を検討(高確率決行/中国の学期は9月入学)にしており、中野先生にはそのことも研修の初期中にお伝えしており、「二天堂での研修はそれまでの期間でお願いします」という風に説明を行っていたと記憶しているところであります。(*後の華佗堂交流/中国研修旅行ジョイントにつながる)
もしこの二天堂での研修が、私が「北京堂に弟子入りを希望」をして始まった研修だったなら、後ろめたさから、このような展開にはなっていなかったでしょう。
「脇坂は北京堂に弟子修行を希望していたのか」の事実関係を客観的に説明
ここからはまた別の状況からの説明を行いますが、 元々の北京堂鍼灸院のホームページには、「二天堂鍼灸で見学OK」とのアピールや、「通信教育」の存在を示唆する記述があり、また北京堂鍼灸リンクページのリンク院リストにあった弟子の鍼灸院のリンクは神戸の二天堂鍼灸院の1件だけで、他は弟子ではない鍼灸院へのリンクの方が大多数を占めており、常時「大腰筋刺鍼ができる」の条件で弟子以外の鍼灸院からもリンク可としてリンク鍼灸院募集をしていました。
(「二天堂で見学OK」の引用スクリーンショット その1, その2 )
(*当時と同じ内容の説明がある北京堂鍼灸リンクページ スクリーンショット)
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ここで私の二天堂鍼灸院での研修の話しに戻ります。
先ほども述べたように、淺野氏の手紙には「もうすぐ神戸に研修センターを立ち上げる」という趣旨の説明がありました。実際二天堂で研修が始まると、当方が「二天堂研修で一人目の参加者」として研修が始まりまったので、二天堂研修は初回開催だと理解できました。
それと同時に当時の二天堂ホームページには、「研修生募集」との案内が出ていた事実があります。(2005~2006年確認)
そちらの表現でも「弟子募集」との文言は無く、また「修行期間」などの弟子修行としての条件提示や説明も何もありませんでした。(逆に北京堂ホームページには北京堂の弟子の修行期間は6ケ月との条件が提示されている)
実際私が二天堂研修を終えた後続いて二天堂で研修を受けた人達は皆、1週間とか2週間とかの短期間です。
この面でも当時の私の二天堂研修に対する理解は、「二天堂研修は誰でも参加できる単なる研修」であり、弟子としての修行ではありませんでした。私の解釈だけでなく、当時この二天堂ホームページの研修案内は客観的にどう見ても「弟子としての修行、研修ではなかった」と理解することは妥当の範疇と思われます。
関連情報
(*北京堂では弟子修行として最低6ケ月の修行期間を条件設定しています)
(*二天堂ホームページでは2019年頃になってから突然「弟子」という文言で「弟子募集」が出されるようになっていますが、それまでの間で二天堂で弟子募集は全く無かったと記憶しています=プラス当方のスクリーンショット履歴も参考)
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「動機の有無」について
私の「弟子入りの動機の有無」の解説を行います。
実は当時私は、鍼灸学校卒業後も在籍勤務していたスポーツクラブの鍼灸整骨院の院長とその上司から新規出店(西宮、京都某市、三田)のための鍼灸スタッフ(社員B)として就職オファーが来ていた事実があります。
さら別の進路の候補として「中国への鍼灸留学」も検討していました。
なので、率直に言いましてこの北京堂からの「手紙」の「二天堂研修会参加のお話し」は、ほとんど乗り気ではありませんでした。失礼な言い方になりますが、このサイトは事実関係を正確にお伝えするために作成しています。
そのため、北京堂中野沼袋院から「二天堂研修参加への勧誘の手紙」が届いた段階では「即答」をせずにいて、その後かなり迷った後、卒業間際になってから、「せっかくならば、」という気持ちで、「そちら(神戸)で勉強させてください」と言って、「浅野先生からのお誘いをお受けすることになった」ということであります。
更にこの件では当時私が在籍していた同じスポーツクラブの同僚の女性スタッフY先生には私から「今度二天堂研修に参加する予定だけどY先生も二天堂研修に参加しませんかと」を研修参加に誘っていた事実もあります。これは二天堂研修の参加前の出来事です。ちなみにこのY先生は私と同じ鍼灸学校の本科卒生で、しかも偶然にもY先生も独自に北京堂中野沼袋院に出向いて治療を受けに行っていて、淺野先生に「脇坂が来た」と伝えられていたとのことでした。
なので、私の当時の認識としてこの二天堂での研修は「北京堂に弟子入り修行」とか「二天堂の中野先生に弟子入り」でもなく、「知人のY先生を誘って参加しようと思っていた程に気軽に参加できる研修」と理解しており、その意味では「単なる研修に参加した」というレベルのものでありました。
実際私は淺野氏の手紙で「もうすぐ神戸に研修センターを立ち上げる」という趣旨の説明を受けていました。
このようなバックグラウンドがありましたので、当時浅野先生に電話を入れた際も、こちらから「弟子にしてください」とか、「弟子入り」や「修行」など、「徒弟関係」を意味する発言は、意識的に一切避けており、誤解を与えないようにしていました。
更に別の角度からの説明をします。
もし私が本当に北京堂鍼灸に弟子入りして修行をしたければ、神戸の二天堂鍼灸院に行くのではなく、「浅野先生が居る東京の鍼灸院に行って弟子として修行を行っていたはず」ということです。
しかし当時の私は、そのような決定をしませんでした。
なぜなら元々私は「北京堂に弟子入りしたい」とは考えていなかったからです。
繰り返しとなりますが、当時の私は、鍼灸整骨院から新店スタッフのオファーが来ているなか、中国留学という別の進路を検討しており、実際このすぐ後に中国に行って鍼灸のための留学を2年間してきていました。
もし本当に北京堂で弟子入り修行したければ、神戸の二天堂に行くのではなく、北京堂修行のために東京でアパートを借り、半年でも1年でも東京に滞在して「弟子入り修行」に専念していたはずです。
中国に2年以上留学していたほどですので、東京に半年間無給で部屋を借り滞在できる程度の資金と時間的余裕がその時点であったということであり、「東京行きを却下してまでして神戸の二天堂に通って弟子入り修行する蓋然性はまったく無かった」ということであります。
北京堂の弟子として修行したければ、「神戸行き」という選択肢は、まずそもそもあり得ないことです。北京堂の弟子になりたければ、「東京行き」が最も合理的で正しい選択肢、となります。
このような客観的事実から見ても、当時の私が「二天堂研修」に参加したのは、「浅野先生から手紙でお誘いがあってのこと」であり、「弟子入り修行を希望した事実も動機も元々まったく無かった」ということであります。
どうでしょうか?
「私が北京堂に弟子入り修行を希望した事実は元からもまったく無かった」ということはこれでお分かりいただけたと思います。
以上が「当方が二天堂研修に参加した動機」「二天堂で研修した際、私から中野先生に伝達していた「私の研修歴」についての詳細説明です。
淺野先生から「北京堂横浜院の引継ぎ勧誘」を受けての当時の私の対応
先の項目で少しだけ触れていましたが、私は二天堂研修が終わった後、鍼灸学習のために2006年9月から中国北京に留学していました。そして留学2年目の2007年10月に北京堂淺野先生が北京に来られ、その際「北京堂横浜院の引継ぎ」の勧誘を受けていました。
この時私は淺野先生と食事を共にして雑談を交えながら「横浜院の引継ぎの勧誘」を受けたのですが、もちろん私はこの勧誘をその場で丁重にお断りして、留学を続行していました。
それと同時にその際淺野先生には、将来私は自前で鍼灸院を開業する目標がある旨、それと独立開業した際の治療方針は北京堂式を100%踏襲するつもりがないこと、以上の考えが淺野先生に確実に伝わるニュアンスでかつ失礼にならないよう、マイルドな表現でその意向を伝えていました。
しかしこの翌年5月にも再び淺野先生よりメールで「横浜院の勧誘」が来ていました。
このメールに対してこちらはすぐに「横浜の件はお断りします」との内容で返信メールを出し、この勧誘を断っていました。
その後結局この横浜院の話しは別の方が引き継ぐこととなり、この後は勧誘は来なくなりました。
実は、当時交流があった北京堂弟子の先生と時々メールでの交流があったのですが、この中で何と「こちらが淺野先生に伝えていた話とは真逆の話しが伝わっていること」が発覚していました。当時私はその弟子の先生に「それは事実ではない」とだけ伝え、それ以外はこれに目をつぶり、穏便な対応で済ませていました。
この項目では以下に勧誘に対する当時のこちらの対応、コミュニケーション状況が分かるEメールを公開して、この件の事実関係を明らかにしていきたいと思います。
そしてこの件の事実関係を通じて「元々私は北京堂に弟子入り希望をしていなかった」という事実を証明したいと思います。
あとそれから、当時のこちらの対応、メール内容などコミュニケーション状況を別にして厳密な視点で意見を言わせてもらいますと、淺野先生より受けていた「横浜院を引き継ぎ勧誘」を私が引き受けなければならない理由がそもそもまったく存在していませんので、勧誘を断ったからといって何かしら禍根が残るような理由も存在し得ないと考えます。
以下に当時のEメールを公開します、どうかご確認ください。
内容抜粋:
こちらから弟子入りを申込んだことは一度もありません。(これは2007年10月に北京で淺野先生で面会した際に勧誘を受けていたことを念頭にした応答)
北京で話しをしたときも、先生に悟られるぐらい消極的でした、、、
内容抜粋:
なんとかやって行けると考えております。
残念ですが、この話しお引き受けするわけには行きません。
■ 最後に
度々で恐縮ですが、この説明は、二天堂研修の内容への不平不満を表明するためのものではありません。先ほどの説明内容の「二天堂で受けた実技指導がマンツーマン指導ではなかった」ことにも不平不満を表明しているわけではありません。
このページ(サイト)公開は、私が二天堂で受けた研修内容の事実関係を詳細に明らかにして、これまでに当院(私)に出ていた誤解や信用失墜を恒久的に解除していくことを目的にするものであります。どうかご理解いただき、誤解されませぬようよろしくお願いいたします。